食文化コラム

おばあちゃんの「目分量」を科学する

計量スプーンは1948年まで存在しなかった

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醤油「少々」、塩「ひとつまみ」、砂糖「適量」。おばあちゃんのレシピには数字が出てこない。それは単なる「勘」ではなく、体に刻まれた科学だった。

醤油「少々」、塩「ひとつまみ」、砂糖「適量」。

おばあちゃんのレシピには、数字が出てこない。子どもの頃はそれが不思議だった。なぜ測らないのに、毎回同じ味になるんだろう。

答えは「勘」じゃなかった。体に刻まれた科学だった。

「ひとつまみ」は何グラムか

実は「ひとつまみ」には明確な定義がある。親指・人差し指・中指の3本でつまんだ量で、約1g。「少々」は親指と人差し指の2本で、約0.5gとされる。
おばあちゃんが測っていなかったんじゃなく、指そのものが計量スプーンだった。

ただし、これには個人差がある。調理学の実測調査では、「ひとつまみ」の塩の量は0.7gから1.4gまで幅があることが確認されている。おばあちゃんの「ひとつまみ」が家庭ごとに微妙に違う味を生み出してきたのは、この身体的な個人差そのものが「うちの味」のベースになっていたからだ。

計量スプーンが生まれたのは、意外と最近のこと

日本で計量スプーンが一般家庭に普及したのは、戦後のことだ。栄養学者の香川綾が1948年に「計量カップ・スプーンによる料理の標準化」を考案し、のちに料理番組などを通じて全国に広まった。

それ以前の日本の台所には、計量スプーンも計量カップも存在しなかった。おばあちゃんたちが目分量で料理するのは、大雑把だからではなく、それが唯一かつ合理的な方法だったのだ。
言い換えれば、目分量は「アナログな妥協」ではなく、計量器具が存在しなかった時代に人間が発達させた、精緻な身体知だった。

脳が「自動化」する仕組み

認知科学では、繰り返し行われる動作が「手続き記憶(procedural memory)」として小脳や大脳基底核に蓄積されることが知られている。自転車の乗り方や楽器の演奏と同じ仕組みで、意識しなくても体が勝手に動く状態だ。

熟練した料理人を対象にした研究では、経験豊富な調理者は塩の量を「意識して測る」より「感覚で加える」方が誤差が少ないケースがあることが示されている。意識的な制御が入ると、かえって精度が下がることがある——これは「チョーキング(過緊張による失敗)」として運動心理学でも知られる現象だ。
おばあちゃんが「なんとなく」加えた塩の量は、何千回もの料理が脳と手に刻んだ、精密な無意識の記憶だった。

五感が計量器だった

目分量は、指だけの話ではない。
火加減は「このくらいの音がしたらOK」。砂糖は「このくらい甘くなったら」。醤油は「この色になったら」。おばあちゃんの調理は、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚のすべてを使った、全身での計量だった。
現代のレシピが「大さじ2」と書くのは、五感の経験がない人でも再現できるようにするため。おばあちゃんには、その翻訳が必要なかった。

「暗黙知」という概念

哲学者マイケル・ポランニーは1966年に「我々は語れる以上のことを知っている(We can know more than we can tell)」と述べ、言語化できない知識を「暗黙知(tacit knowledge)」と呼んだ。

おばあちゃんの目分量は、まさにこの暗黙知の典型だ。「どうやって測るの?」と聞いても、「なんとなく」としか答えられない。それは説明を怠っているのではなく、言語化できないほど深く体に染み込んでいるからだ。
経営学者の野中郁次郎はこの概念を発展させ、熟練者の暗黙知を形式知に変換し、次世代に伝えることの重要性を説いた。おばあちゃんの台所で、見よう見まねで手伝いをさせられたあの時間は、まさに知識の継承そのものだった。

再現するために大事なこと

だから「おばあちゃんと同じ味」を再現するのは難しい。レシピを完璧に書き起こしても、五感の記憶は文字にできないから。
でも一つだけ近づける方法がある。
作り続けること。
同じ料理を10回、20回と繰り返すうちに、指が覚える。目が覚える。鼻が覚える。その積み重ねの先に、おばあちゃんと同じ感覚が待っている。

計量スプーンを使うことは悪いことではない。でも、いつかそれを置いて「なんとなく」で作れるようになったとき、あなたの体の中にもおばあちゃんの記憶が宿る。


あなたのおばあちゃんの目分量、覚えていますか?

「うちのおばあちゃんはこうやって測ってた」「いつもあの鍋でこのくらい、と言っていた」というエピソード、ぜひ {{recruit:#おばあちゃんのレシピ}} で教えてください。料理名だけでもOKです。

参考文献

  • [1] 香川綾(1993)『計量カップとスプーン』女子栄養大学出版部
  • [2] 日本調理科学会 編(2018)『新版 調理科学』建帛社
  • [3] マイケル・ポランニー(2003)『暗黙知の次元』ちくま学芸文庫
  • [4] 野中郁次郎、竹内弘高(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社